地元の子供たちへ想いを繋ぐ

岩田涼太 写真

ショップには様々な人が訪れます。ときには個性的で、普段はなにをしているのか気になってしまう人も。聞けばアツイ想いを持つ人が多数。そこで”〈numlok〉を着るあの人は、どんな人物なのか”というテーマで、ショップに出入りする様々な人を掘り下げてみることにしました。第1回は、プロバスケットボール選手・岩田涼太さんです。

 

今からは想像できないカラダの弱かった幼少時代

バスケはいつからはじめました?

小学校3年生からですね。バスケをはじめたきっかけは、仲のいい友人がミニバスの見学に行くというで、ついて行ったのですが、すぐに入部を決めました。

ただ当時、喘息持ちでだったんです。笑ったりするだけで発作が出てしまうほど。なので体育もできなかったし、最初は親からも反対されてました。

それなのに勝手に行って、勝手にやって。はじめた頃は、案の定発作が出てしまって、夜間救急など毎日病院に行ってましたね。なので、医者からも止められていました。

もちろんコーチからも「苦しかったら止めていいよ」と言われるのですが、それでも強行突破でやっていました。

なぜ辞めようとは思わなかった?

遊ぶことすら制限されていたので、カラダを動かせるのが楽しくてしょうがなかったんです。
幼稚園でも、周りはみんな外遊びするじゃないですか。けど、砂埃を吸うだけでもやられてしまうので、女の子と折り紙を折ってましたね。折り紙はかなり上手いですよ、鍛えられました(笑)。

あと、幼少の頃はガソリンエンジン ラジコンを父が好きだったのでやってました。物心ついてはじめてのプレゼントはミニ四駆。
幼稚園入る前に、説明書もわからないながらも組み立てたりして。
それはそれで楽しかったんですけどね。

ただ、やはりみんなと外で遊びたかったんです。当時のそんな僕を見て、母親はやるんだったらやれって割り切ってくれてました。お医者さんから母親がすごく怒られていたのを今でも記憶しています。

とにかくカラダを動かしたかったし、気持ちは苦しいよりも楽しいが勝っていました。続けていたら、症状もよくなってきたんです。6年生から中学生になる頃には発作はほぼ出なくなっていました。

それから高校、大学ずっとバスケを続けて、大学卒業してプロになりました。5年ぐらいBリーグにいて、現在の3人制に転向したという感じです。

岩田涼太

地元・平塚から世界を目指せる3x3の魅力

三人制の3x3に転向した理由は?

3on3は地域ごととかでルールがあったんですが、それを日本がこういうルールでやりましょうとはじめたのが3x3なんですね。独自に確立されて、オリンピック競技にもなっています。

まだ7年くらいですが、全国に42チームとかなり広まっています。プレミアリーグが日本のほかにも70カ国以上あるんです。

日本で1位になると、ワールドツアーで各国の1位のチームが集って試合をします。五人制などでは代表が選ばれますよね。ですが3x3では日本選抜とかではなく、優勝したチームがそのまま世界へ行きます。

世界大会では湘南シーサイドではなく、ジャパン、ヒラツカと地名が出るんです。

さらに、3x3は五人制より多くボールに触れられることも魅力です。
55というと10人で戦うと単純に自分がボールを触れることは少ない。みんなシュートしたいし、ドリブルしたいですから。

そして、3x3は普通の3on3よりルール上スピード感があります。相手がシュートを打ってリングにあたり、キャッチしてスリーポイントの外に出なくちゃいけない。すぐに攻めなきゃいけないんです。五人制の場合は24秒、3on316秒、それに比べて3x3は12秒なので展開が早いんです

3on3揉みくちゃになりながら、決め切るといったこともあります。カラダがぶつかる音なども聞こえるあたりは、ラグビーなどに近いかもしれませんね。カラダのぶつかり合いはある程度許されているんです。

技術的に差があるとは思っていませんが、そういったところの違いから戦術を勉強することは課題だと感じています。

自分たちで立ち上げようとした経緯は?

こうしたご時世で、Bリーグの球団も無観客でチケット収入を失っています。それが原因で選手の収入削減や、契約に関わることもあり、選手にとっても状況は厳しいといえます。

コストカットは中間層の多くの選手が溢れてしまう可能性があります。というのも、チームの顔のスター選手か、安く契約できる選手ばかりになってしまうという状況も考えられます。

当然、契約終了となると、また新たに入れる球団を探さなければならない。次がある選手はいいですが、シーズンオフの契約更新の時期のストレスは一段と厳しいものになっています。しかも、こうした状況がいつまで続くかわからないですから。

そんな中、オフシーズンに横浜の三人制のチームに出た際に、youtubeで“チームオーナー募集”という広告を見たんです。「自分たちでチームを作っちゃえばいいんじゃないか」と、湘南テクノという会社に協力いただけることになりました。

湘南テクノは自分がBリーグにいる頃からスポンサーをしてくれていた会社です。

運営の方は携わったことがなかったので、手探りで大変でしたが、今まで気づかなかったことを気づけました。
プロチームはいろんなサプライをしてもらえたり、人にしてもらえることがたくさんあったんですが、スポンサーやサプライヤーになってくれたりだとか、自分たちだけで1から関係を気づくのはやはり大変なことだと感じます。

営業活動する中で「こういうチームができるので、スポンサーになってください!」と言っても、実態もなく具体的なことが言えなかったり。

やはりまずは僕自身のことをわかってもらって、応援してもらえるようにならないと難しい。スポンサーという関係だけではなく、人と人が繋がりが大事なんだなと改めて感じます。

〈numlok〉との出会いは?

2年前くらいまで知らなかったんです。僕の同級生が前の場所にあったときによくいってたみたいで。

洋服屋と珈琲屋さんとコラボした記事を知って、その異色な別の業態のものが合わさって発信していくことが面白いなと思いました。
洋服が好きだったので、instagramで「バスケットをやってます。一緒に平塚を盛り上げたいです」とDMで連絡したんです。

岩田涼太

プロが教えるバスケ教室で次世代を

将来の夢は?

思い切り僕たちで子供達にバスケットを教えていきたいです。1人1000円で体験会で誰でも参加できます。プロ選手が直接教えてくれるバスケ教室というのは、神奈川県にはほぼないです。

バスケットの技術を教えてくれるところはいろいろとあります。ただ、プロじゃないと教えられないこともたくさんあると思うんです。

そして2代目が出てきたらいいですね。僕の思いが僕の代で終わったら、また別のチームじゃないですか。ずっと同じ方向で向かってくれるような人が現れてくれたら嬉しいです。

 

岩田涼太

〈Rhythm Tribe〉とのコラボTシャツ。背面〈SHONAN SEA SIDE〉のロゴデザインはアリゾナ州フェニックス出身のAndy Brown(アンディ・ブラウン)が手がけたもの。Rhythm Tribeシャッターのデザインなども手がけたグラフィティアーティストである。

 

 

〈numlok〉お馴染み"LAHR"ロゴTシャツ。合わせたのは〈Nike〉のパンツに足元はアメフトのスーパースター、オデル・ベッカム Jr.のシグネチャーの〈Nike〉。スニーカー好きでOff-White™️ x Nikeなどレアなものもいくつか所有しているそう。

 

PROFILE

岩田涼太(いわたりょうた)/1992年6月19日生まれ、平塚出身。東海大学卒業後、横浜ビー・コルセアーズ(2015-17)、三遠ネオフェニックス(2017-18)、パスラボ山形ワイヴァンズ(2018-20)に所属。現在、3x3(スリーエックススリー)プロバスケットチームであり、平塚を拠点として活動するSHONAN SEASIDE EXE.(ショウナン シーサイド ドット エグゼ)を自ら立ち上げ、現役プレイヤーとして活躍している。好きな食べ物はウインナー。

instagram/twitter @ry0tq06

INFO

20216月、SHONAN SEA SIDEのホームコートである湘南地区初の屋外型バスケットボールコートが開設。岩田選手をはじめとする3×3現役プロ選手が直接指導するスクールを開校している。

2021年8月14,15日、ラウンド5がトッケイセキュリティ平塚総合体育館にて開催。

 

取材・文/満山雅人